今日は、朝から・・・

忘れな草 気付いたこと

忘れな草

今日は朝から・・・

今日も昨日に引き続いて、朝から微熱があり、会社に行くことを断念しました。

でも、私は、今まで、1か月は、休まずに会社に行っていたので、これは、これで、

休日を与えてもらったと思い、ゆっくり休むことができた。

朝から少しゆっくりできた。

その後、英会話をして・・・

やっぱり、どんな形でもいいので、自分は、人と一日に一回は、何かのテーマについて、自分の意見なりを人と話す機会は大事だと思います。

そうすることで、私自身、誰かとつながっているという感覚になるし、なんだか自分は、一人じゃないんだって思えるような気がする。

特に英語を通じて、会話をすることで、私自身何かいつも不思議な感覚になるので、英語を通じてコミュニケーションをとることは、重要な朝の日課になっている。

そうして、言えた時には、自分の考えを自由に表現していいんだと思えるし、自分の意見を言うことにより、自分を客観的にみる練習にもなると思う。

英語を話せるという自信にもつながるし、少しずつですが、色々な人とつながりを無理なく持つことができ、自然と英語圏の人たちとつながっているという思いに満足することができる。

ギターのことが気になり・・・

私は最近また趣味を一つ増やした。それはギターである。

なぜ私がギターを始めようかと思ったかというと、それは、英会話が深く影響しているように思える。

私は、通勤時には、決まって、英語の音楽を聴くようになり、それを口ずさむことにより、自分で歌える洋楽のレパートリーが増えていき、軽快な音楽にのせて、歌えることに喜びを感じるようになってきたのである。

そして、だんだん自分もギターを弾きながら、洋楽を歌えるようになりたいと思えるようになった。これは、誰からの強制ではなく、自分から、将来の自分のなりたい姿を想像して、そう思えた瞬間でもあった。

そこで、ギターを購入して、これをこれからの一生の私の趣味のレパートリーの中に取り込んでいこうとした。

ギターの練習方法を紹介している動画等を見たりして、実際にギターを購入して、練習をしようと考えている。

娘とのピアノとのコラボレーションを通じて、ギターを演奏したり、一人でギターを練習をして、色々な人たちとつながりを持つことができれば、私の目標の一つも達成できると思っています。

母親からのショートメール・・・

母親は、私が覚えているときから、自分が犠牲者、いつも暗い顔をして、私に心配させては、何かいつも悲劇のヒロインみたいに私には映って見えた。

自分の責任で、結婚をして、子供を持ち、家庭を持ったのだけれど、

いつも自分の置かれた状況を時には、子供のせいにしたり、父親のせいにしたりして、

いつも夫婦げんかが絶えなかった。それを見て育った私は、いつも母親を助けるためには、どうするべきかが私の判断するうえでの最も重要なテーマになってしまっていた。

父親を卑下する割には、離婚したりすることもなく、いつも子供を言い訳にして、その関係を断ち切ろうとせずに、子供のせいにばかりしていた。その母親の考えにずっと従った私がばかだった。

そのショートメールにはいつもお金の心配を息子にかける内容が書かれている。

母親は、自分の幸せは、人から運ばれてくるもので、自分から、幸せをつかもうともせずに、その幸せが人から与えられないと発狂したり、狂ったように不機嫌になり、自分の感情を自分でコントロールができなくなっているように見えた。父親もその通りで、二人とも似たもの夫婦で、それでいて、お互いに批判をすることもあるが、一緒にずっといる、単なる共依存夫婦である。子供を犠牲に夫婦関係を築いて、世間体だけを気にした単なる中身のない夫婦関係のように思える。

その母親からのお金が足りなくなると決まってやってくるメールには、笑いさえ出る始末である。助けようとはせずに、そのメールを見るたびになんだか優越感さえ覚えるのである。小さい頃には、私の気持ちなど考えずに、子供に心配ばかりをかけてきた母親や父親が今度は、苦しみその苦しみを子供にまたかけてくる。ばかげた話である。

子供の意見等を聞いて、順調に育ててくれていれば、そんな馬鹿にした思いをしないのですが、馬鹿にされたり、人格を否定されてきた私としては、滑稽に思えるし、助けようとも思わない。

お金を求めてくる母親と父親は公務員だった。

でも今は、このお金がない現実になっており、私は、家族の本当の存在意義を

お金ではない、何かに元もているような気がする。

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